たまにはアナログも。

ケータイのメールってのは、お手軽でレスポンス早くてリアルタイムでライブ感あってコミュニケーションツールとしては優れてると思う(ライブ感と言う意味ではTwitterとかメッセンジャーの方が分があるかもしれんけど。まぁ、それはそれとして。)。

でも、やっぱり、誰が打っても、誰が書いても規格化された文字でしかない。デコメや文体に個性は出るが、文字自体は同じで文字から伝わる感情ってのを表現するまでには至ってないんだよな。その点ではやっぱりアナログなお手紙には及ばないんだよな。

書いて直して、直したあととかも痕跡が残っちゃってw。良いものを、良く見せようとと言うか(自分を良く見せようとする見栄?)、丁寧に気持ちを込めて書きたい、書いたものを読んでもらいたいって思いながら筆をはしらせる。ケータイメールってのはこの辺の心配しなくて良い(でも、それが良いのか悪いのか)。読めるように、読みやすくきれいな字でとか思っている時点で、相手のコトを、相手への思いやりが生じているんだよな(ま、そんな手紙ばかりでは無いのだけど)。
きっとカタカタとキーを打つのとは違う作業で、刺激される神経細胞も違うんだろうな。

文字から喜びとか尊敬とか好意とか、そんな感情が読み取れたりして…そう言う良さが手紙にはあると思う。メールには無い良さが。まだメールでは表現しきれない部分の良さが。


先日、大切なヒトにお手紙を書きました。
記念日とか知らせたいコトがあったとかそんな大仰なものでは無く、ふいに今感じてるコトとか自分の思いとかを綴って、感謝の念とともにプレゼントを添えてロッカーに入れておきました(この場合、プレゼントは手紙を渡す口実で照れ隠しかなw)。
いつもはメールでのやりとりだけど、たまには、折々にはそう言うのも良いもんだろうと。
予想通りと言うか、予想外にと言うか大変喜んでくれました。プレゼントよりも手紙がうれしかったって。うれしかったんでお返事もメールではなくお手紙でくれましたw。

相手を思いやるってコトは目に見えない行為だから、言葉や態度や行動で示すしか実感させてやるコトは出来ないんだろうけど、その方法は沢山あって「好きだ好きだ」と100回繰り返したりイチャ×2チュッチュと直接表現を行う方がわかりやすいんだろうね。でも、それだけじゃホントに想ってるのか怪しいもんだとも思う(自分自身に対しても思う「ホントか?!」って)。
言葉ってのは思ってないコトでもはけるし、スキンシップは性的欲求を満たす行為で恋愛感情とは切り離せるし。直接行為ってのはその辺があやういなって思うんだよね(やってて感じた)。だから、俺は出来るだけ色々な方法で、色々なアプローチで相手への想いを伝えていこうと思った。手紙もそのひとつ。無駄に手間がかかるような行為ってのが想いの指標のひとつになるような思い込みがあるのでw。

今回は手紙を書いてよかったと思いました。折々に手紙をしたためようと。
メールでは手間のかかる長文も便箋に綴ればあっと言う間にうまっちゃう。10枚くらいすぐに書けちゃう(それは便箋が小さいやつだからw)。

こういうコミュニケーションをこれからも大切にしていきたい。